今日で東日本大震災(3.11)から5年が経過しました。
時間の経過は人それぞれですが個人的にはものすごく早く感じましたね。
それほど毎日が必死、というか充実していたのかと思います。
震災直後の光景は壮絶なもので、瓦礫が片付くだけでも何十年もかかるんじゃないかと思っていましたが、人間の力は想像以上なもので、瓦礫がなくなるのは結構早かったです。
ただ、瓦礫が片付いてからは更地が目立ち、これからまだまだ時間がかかると思います。
さて震災から5年経過しましたが、僕個人の震災からの5年を振り返ってまとめておきたいとおもいます。
2011年震災発生の年
地元中学校で家族と再開、後に父の実家で避難所生活を数ヶ月。しばらくの間断水と、停電(約一ヶ月)
勤めていた職場は震災により事業を断念し、解雇になり失業保険生活。
実家暮らしから2~3ヵ月後、仮設住宅が完成し、抽選で当選。仮設暮らしスタート。
震災直後は罹災証明の発行、免許や資格の再発行、通帳の再発行など、面倒な手続きで大変でした。
被災した車の廃車届けなどもありましたね、それと自動車税の払い戻しなども。
地元でいち早く再建した企業はパチンコ屋。やっぱあの業界はお金持ってますね~。ストレスだらけの被災地では娯楽施設のパチンコ屋は大繁盛。
2012年
仮設住宅生活継続。
仕事は親戚の手伝いをすることになりました。
沿岸部はまだまだ瓦礫が目立つが、仮設道路などが出来る。
被災地の職のメインは瓦礫撤去やダンプの運転手が目立ちました。
もともと水産会社で働いていた方も、職場がなくなりそちらを選んでるパターンも多い。
後に水産会社が復興するも、瓦礫撤去や、ダンプ仕事を継続する方が目立つ。
なんてたって、復興関連の仕事のほうが水産会社で働くより給料高いところ多いですからね。
ぶっちゃけ被災者に必要なのは現金そのものです。これは紛れも無い事実。
そういえばこの年、息抜きに沖縄旅行にいってきました。
2013年
仮設住宅暮らし継続。
瓦礫はだいぶ無くなり道路もすっきり。沿岸部は更地が増えてきました。
自分含め、仮設住宅暮らしの人はまだまだ多いです。
相変わらず被災地のパチンコ屋は大繁盛。ストレスのあまり、義援金をパチンコで溶かした人も多いです。
知り合いで100万負けたという人もいました。テレビCMではパチンコは「健全で街と生きる」なんて言ってますが、個人的にそうとは思えない。
このころから被災した水産業などもちらほら再開する話も聞きました。
2014年
仮設住宅暮らし継続。
仮設暮らしにも慣れて来ました、仮設を出る人はほとんどいません。
沿岸部の瓦礫はほぼほぼ無くなり、防波堤工事が始まりました。
国道はダンプだらけで、凄いほこりです。ダンプは復興には必要不可欠ですが、渋滞や道路の劣化は顕著です。
陸前高田で採用した巨大コンベアを使い、山を切り崩した土を運ぶ方式が効率良いのがなんとなく理解できます。あれには圧巻です。
2015年
仮設住宅暮らし継続。仮設を出る人もちらほらと出て来ました。
僕は仮設暮らしは継続ですが、新居を構える土地を手に入れ、新築の準備で大工(工務店)さんと話し合いが始まりました。
瓦礫はほとんどなく、災害復興住宅や、新しい道路工事、防波堤工事が進み始めてます。
相変わらず道路はダンプが多いです。
当然パチンコ屋も繁盛中ですが、義援金がなくなったのか当初の人手ではないですね。
2016年(現在)
ついに仮設住宅暮らしにピリオド。いざ出るとなるとちょっと寂しい気もしますね。
ちょっと離れた土地でしたが「住めば都」はまんざらでもないです。幸いにも仮設には良い人だらけでしたし。
僕は幸いにも仮設暮らしは終りましたが、まだまだ入居者は多いです。
2015年に着工していた新居が完成!やはり一戸建ては落ち着くと実感。
家の支払いはありますが、頑張るしかないです。
被災地はまだまだダンプだだらけですが、数年前に比べれば少なくなってますね。
復興関係者で街はいまだ賑わいがありあますが、復興が終わり地方から出稼ぎに来てくださった方々がいなくなったら町は静かになり、過疎状態になるのが心配ですね。
ちなみにいまだパチンコ屋は結構にぎわってます・・・
ということで、いち被災者の5年の軌跡でしたが、個人的には本当に刹那的です。
震災当時のことは鮮明に覚えています。
震災の辛い記憶だけ掘り起こしても・・・
震災による思いは境遇によっても違い、人それぞれですが、震災当時の辛い思い出だけ毎日のように思い出してしまうと、精神的におかしくなってしまうのは自明です。
精神が蝕まれると生きる活力、行動力は損なわれる事のほうが多いです。
震災があった事実は忘れることなく、後世に伝えて行くのは良いことだとは思います。
それは大事な事ではありますが、被災者としてそれよりも大事なことは、「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」これに尽きると思います。
実はこれ、あのホリエモンが近畿大学の卒業生に向けた言葉なのですが、今の被災者にもぴったりはまる名言だと思います。
震災は本当に辛いし、大変です。しかし、「もう終わり」とか」「ダメ」「もう無理」とかいった時点でもうゲームオーバーなんです。何も前進することはありませんからね。
簡単なことではなく自分にも言い聞かせる意味もありますが、今後これを心がけていこうと思います。
被災者にならない方法
今回の震災で家をはじめ、多くの物を失い分ったこと。それは沿岸部に家は建ててはいけないということです。
自然の力は計り知れません、津波の力はほんと半端ないですので、まずは海の近くに住むのはやめておいたほうが無難です。
今回の震災では、地震での家屋倒壊は少なく、ほとんどが津波の被害でした。海のそばに家を建てないだけでも被災するリスクはかなり下がります。
津波がこないとこに家があれば、家族を助けに行ったり、心配する事もすくないですからね。
お金が物を言う
震災直後は「絆」という言葉を飽きるほど聞きましたが、震災直後はまさに絆という言葉がぴったりでした。
しか~し、震災から時間が経過し、いざ脱震災生活に早くに移行できるか否かの差は、ずばり「資金力」。
潤沢な資金を持っている人がいち早くに新居を建築し、震災からの復興を果たしているのは事実ですね!
逆にお金が無いところではそれが原因で家庭崩壊、離婚なんて事例もありました。
僕の家庭は残念ながらお金持ちであはありませんので、お金の工面は大変でしたが、家庭崩壊は無かったのが幸いです。
綺麗事なしで、お金はやっぱ多く持ってて損はしませんね。震災を体験してまざまざお金の価値というものを思い知らされました。
まだまだ仮設住宅に暮らす被災者は多いですが、どうか皆様お体にお気をつけ、いち早く復興をはたして貰いたいですね!
また、いまだに行方不明の被災者も一刻もはやく見つかればよいと心から願っております。
完全復興には長い時間がかかると思いますが、未来は明るいと信じて頑張っていきましょう。なんくるないさー!!!
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