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東日本大震災体験記③ 避難生活スタート

kaji

震災発生後2日目から父方の実家で避難生活が始まった。
ここで避難生活する人数は私の家族4人+実家6人の計10人だ。
実家は高台にあり津波の被害は全くなかったが、下を見下ろすと津波の被害が見えるぐらいのところです。
地震発生後は食器などが割れて散乱していたようだが、私が実家に来た頃には既に片付けられていた。
電気は勿論点かず、停電中。
水は蛇口から勢いは良くないが出ていたと思う。
先ずは皆集まって、無事でよかった事を話したり、親戚の安否の事などを話した。
そうこうしてるうちに夕食。
実家は一通りの食料は結構ストックしていた模様。(米も結構あった)
停電にはなっていたが、ガスボンベ式なのでキッチンで火を使う事が出来たので、ガスこん炉でご飯を炊いた。
その後就寝。
寝ると言っても余震が頻発していたので、この日も熟睡は出来なかった。

震災から3日目。
この日起きて驚いたのは、新聞が届いていたこと。
こんな状況のなか新聞社は動いていたことにビックリ!&感謝!
記事は少なかったが、貴重な情報源になりました。
原発がやばい状況にあると分かったのもこの日位だったと思います。
そしてこの日は兄と、従兄弟の3人で地元の町の状況を歩いて見てくることにしました。
移動手段は勿論、歩きだ。(燃料は極力節約していたので)
装備はリュックと軍手、長靴、防止、ドカジャン、会社の作業着だったと思う。
※津波直後の街中は泥だらけ、スニーカーではまず歩けない。
いざ、出発して津波の被害を受けた町を歩いてみると、とにかく凄かった。
何が凄いかって、もう世紀末、この世の光景ではないって位異常。
町の至るところが瓦礫だらけ、流された車もひっくり返ったりしていて驚いた。
煙の匂いや、腐敗した冷凍魚、なんとも言えない独特の匂いも漂う。
町を歩く人たちは私たち以外にも沢山いました。
みんな食料調達や、町の被害状況を確かめに来たのだろう。
この日ぐらいになると、被災を逃れたスーパーが商品数を限定(一人10点とか)してではあるが、販売をしていたところもあったと思います。
町を歩いてる途中、とある飲料メーカーの倉庫に差しかかった。
すると、そこの従業員が出てきて、こう言った「ここに散乱している缶ジュース好きなだけ持っていってください」と。
缶ジュースは泥に埋もれたりしてたりしていたが、中身は大丈夫な品だ。
なんともありがたい物資でした。
その辺に転がってた、バケツのようなものに入れられるだけ入れてありがたく頂戴した。(超重かった)
その一方で、歩いている途中、ワゴン車で缶ジュースを販売している輩もいた。
確か1箱5000円とか言っていたような気がする。しかも安物のブランドの短缶、勿論スルー。(服装がやけに綺麗だしあからさまに地元の人間ではない)
震災が起きると、その様な輩が必ず現れるので注意しましょう。
その後貰った缶ジュースをもって実家へ戻った。(歩行距離およそ5~6キロ)
この日の行動はこれくらいだったと思う。

震災から4日目
車で約30分位のところにある内陸のスーパーへ食料調達へ。
内陸に行って見て驚いたのは停電していなかった事だ。
いつもとなんら、変わりない日常の世界。
お店も普通に営業していました。
しかし、沿岸部から近い事もあり、自分たちと同じように食料や日常品を買い求める人が沢山いた。
そのため、商品数を限られての販売になっていた。
しかも、ここのお店は1つ1つの商品が高額でした。
販売してくれるだけありがたいが、ちょっとやり過ぎだと感じた。
特に米の値段が高かった事を覚えています。それと賞味期限が切れたペットボトル200円とか。
とりあえずここには3人で来ていたので、上限目一杯まで色んな物を買って帰った。
この日の夜ちょっとした事件が起きた。
実家近くで火災が発生したのである。
発生場所は実家の下のほうの瓦礫からでしたが、日が近く感じるくらい勢いよく燃えていました。
噂によると、気が狂った年配の被災者が放火したという。
停電中なので、消防の放送とかもないし、いつ消化に来るかも分からない。
火が実家まで到達しそうだったので、必要な荷物を持って全員で実家から近くにある大きめな避難場所となっている所に移動した。
時間は20時位だったと思う。
避難所に着くと食料物資を配給していました、一人おにぎり1個でしたが、避難所では食料配給がはじまっていたんですね。
ここの避難所も沢山の被災者で埋め尽くされていましたね。
ここでも安否名簿があったので記入。
12時近くになって実家に戻ってみると、先ほどの火災はだいぶ下火になり、もう安心だろうと思い家に入りました。
震災直後は謎の火災が多いので注意です。
今回のように放火する輩が現れたりします。

震災5日目以降・・・
この辺りになると、行動内容は覚えていますが細かい日付がちょっと曖昧になってきました。
毎日メモ取っておけばよかったと後悔。
時系列な書き方は今回までで、次回からは覚えているその日その日の行動を書いていきます。(なるべく時系列にしますが)
ということで、覚えてることをテーマに沿って書いてみます。

次回、遺体探し、被災地の歩き方

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